この思いをどう言葉に伝えればいいのだろう。
波のように胸の中を寄せては返す想い……。
今はただ、キミを見つめていたい。
目の前に広がるのは、ただ青い海と白い雲。太陽の光がキラキラと反射して宝石を散りばめたように水面を彩っている。そんな波の間から、イルカの群れが顔を出しているのが見えた。しかし、今の彼にはそんな光景も全く見えていないようだった。甲板の隅でうずくまる彼には大魔法師の肩書など微塵も感じられない。
「わぁ~イルカさん達です。こんにちはっ!」
イルカを見つけたナギが楽しそうに歓声を上げている。皆も海を見ていると心が弾むのか、いつもよりテンションが高い気がする。
「イルカも…仲間で行動しているんだな…。」
ルコが何気なく言った言葉。どこか寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。クロモドは重い頭を上げてルコ達が立っている方向を見据えた。ルコの顔には笑顔が浮かんでいたが、その視線はイルカ達よりはるか遠くを見つめていた。
彼女の姿を見るのは久しぶりだった。カバーシャードの堂主という責任を負う彼女は、エルピントスの軍に仕えるのは当然の事で、忍びという任務の為に別行動を取るのは仕方ない事である。狭い船内での移動だからこそ、彼女をこうして見つめていられるのだが…。
何故こんな時に私は船などに乗らなければならないのか。クロモドは重力に耐え切れず甲板の隅に再びうずくまった。『船酔い』この恐ろしい現象をどう説明すればよいのだろう。常に安定する事のない感覚。重く圧し掛かる頭痛と終わる事のない吐き気。揺れる事のない大地が恋し過ぎる。
「気分が悪いようなら、ベットに横になっていたほうがよろしいかと思いますよ?」
そう声をかけたのは黒髪の優男、アエルロトである。
「アエルロトさんの言う通りですよ、大丈夫ですか?顔色が悪いです…。」
ソーマが心配そうにクロモドの様子を伺っている。
「風通りの悪い船内より…ここのほうがましだ…うっぷ。」
クロモドは肩を貸そうとするアエルロトの手をはたき返すと、吐き気が抑えきれないのか蒼白の唇を手のひらで押さえた。
「なんだか……船の揺れが激しくなってないか…?」
「気づきましたかクロモドさん、波が荒くなるのは陸が近いからですよ。もう少しの辛抱ですね。」
船内が揺れて杖で体を支えないと倒れそうになる。我ながら杖の使い方を間違えていると、情けない自分に腹立たしさを覚えてクロモドは肩をすくめた。ルコが心配そうな顔でこちらを見上げているのに気付いていたが、クロモドが視線を合わせる事はなかった。
港町に着くと、商人たちは海賊の被害に悩まされ、町では治安の悪化と謎の子供の誘拐事件と物騒な出来事ばかりだ。赤い髪のシュバルマンは、いつもの事ながら賊に間違えられ、面倒事に巻き込まれていく。クロモドも彼らと行動を共にする以上、これらの事件と無関係ではいられないのは十分承知しているが、文句をいう姿もしばしば見受けられるのはご愛敬である。ルコは市民から情報を集め、海賊団のアジトを見つけ出そうと奮闘している。
早く海賊団のアジトをつきとめなくてはならない。そんな中、時間だけが無情に過ぎていく。ルコは上手く任務が遂行できずに苛立ちを隠せない。水平線に沈む赤い夕陽をにらみつけると彼女は停泊した船の上でため息をついていた。
「忙しいのは承知しているが…少し話せないか?」
そんな彼女の前に薄幸の大魔法師が佇んでいた。
「大丈夫、暗くなるから今日の調査は打ち切りだよ…あれ…船の上苦手なんじゃないの?」
気分が悪そうなクロモドの表情を茶化すように笑うルコ。しかし、いつもの笑顔より曇って見えた。朝から街の聞き込みで走り回り、ホラ吹き爺さんの意味のない長話の相手じゃ、たとえ元気がとりえの彼女でも身がもたないだろう。
「時間を取らせるつもりはない。さっさとここから降りて私について来てくれないか?」
ルコが遠慮したように立ちつくしているのを、クロモドは強引に彼女の腕を引っ張った。波風で腕が冷えていたからだろうか、彼の手がとても温かく感じられる。
二人が辿り着いたのは小さな砂浜だった。ベルトの街にこんなところがあったとは目ざといルコでも気付かなかった。
「ここならゆっくり話が出来るだろう。」
ルコはこの場所に入った瞬間、妙な違和感を覚えた。この場所の白い砂浜には貝殻どころか足跡一つ見つけることはできない。ただ、砂浜が広がっているだけだった。
「こんな所があったなんて…気づかなかった。」
「気づかなかったのは当たり前だ。ここは私の魔法で創った架空空間だからな。」
クロモドが説明するところによると、この魔法空間は二人以外の人間が入る事は出来ない作りになっていて、外に声が漏れる事もない。時空を少し歪めているため、この中に居る間は、外の場所より時間がゆっくり流れるのだそうだ。
水平線に沈む夕日が大海原をオレンジ色に染めている。この場所に来るのは初めてなのに何故だろう。もう逢う事はできない、強く、美しく、優しかったあの姉の顔が思い出されて涙がこぼれそうになる。
「ルコ…あまりに沢山の事が起こり過ぎて、自分の心を整理する時間が無かった…そうじゃないか?」
クロモドは真っ直ぐ彼女を見ていた。彼女は、あまりにも多くの事を胸に抱えて生きてきた。しかし、走り過ぎて色々な事を置いて来てしまったのではないか。クロモドはいつもそれを感じていた。
「ルコが外に出ようとすればこの空間は消える……私は先に戻っているから、ここを好きに使っていい。」
クロモドは少し照れた様子で顔を背けると、ルコを残して立ち去ろうと背中を向けた。
「待って……私を…一人にしないで……。」
ルコが立ち去ろうとする彼の背中を追いかける。気が途切れたのかルコは表情を崩すと瞳から涙がこぼれおちた。
今にも膝が崩れそうな彼女を見て、とっさにクロモドはその小さな体を抱きとめると、包み込むように優しく抱きしめた。
彼女が強い事をクロモドは知っている。しかし、幼さを残したその瞳は過酷な現実ばかりを映し出してきた。口では大魔法師などと言っているが、それを止める事も出来ない、私は弱い人間だ。そう、自分の傲慢さに気づかせてくれたのはルコ……君だった。
凍てつく雪のような現実を溶かすように、白い砂浜には夕日に照らされた二人の影と二人の足跡だけが残されている。
海賊団のアジトをようやく突き止めた遠征隊達。ルコが一人で海賊船に乗り込むと言い張った時も、彼女は自分がずっと一人だと考えていたのかもしれない。
「仲間だろう?」
遠征隊の面々に気づかされたルコの表情は少し戸惑っていた。短い間に忠実な部下と大切なたった一人の家族さえ失ったのだから、そう考えるのは無理もない事だった。
「海より…陸のほうがいい。」
今のクロモドにはそれだけ言うのが精一杯だった。不器用な言葉でしか紡ぎだせない自分、この腹立たしさをどう言葉にしたらいいのだろう。
彼が顔を上げると一瞬だけルコと目が合った。ルコはクロモドに溢れるような笑顔を見せると総てを乗り越えて、まるで疾風のようにクロモドの横を走り抜けていった。
『自分に良く似ている。』初めて出会った時、そう感じたのがきっかけだった。それから私は君を見つめ続けているような気がする。
君がいなかったら自分の孤独感、不安感など考えもせずに当てもなく走り続けていただろう、仲間というものについて省みる事さえなかったかもしれない。そう、教えてくれたのは、いつも君だった……。
言葉に出来ないこの想い、たとえ彼女に伝わらなくても構わない。君の喜び、悔しさそして悲しみの涙もすべて抱きしめてあげたい。
キミはどんな道を歩いて行くのだろう。
長く険しい道なき道、キミは何を思い歩いていく?
キミに出会うまでは……。
この道には、ずっと自分の足跡だけが続いていくと思っていた。
キミがどんなに辛い想いを抱えていたとしても、何もかもを受け入れるから。
二人で歩いていくことはできないだろうか。
おしまい
BGM:「見つめていたい」(GLAY TOUR ’98 pure soul PAMPHLT CD) By GLAY
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