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窓から差す日の光がまぶしい。朝の爽やかな空気に暖かさを感じるようになってきていた。
クロモドはいつもの事ながら、喫茶店のテーブルの上で朝を迎えていた。心配そうにアルポンスが一声鳴いた。
「私の心配をするより先に与えられた仕事は終えられたのか?アルポンス…。」
彼の声にアルポンスは止まっていた手を、慌てて動かし始めた。
「時間がない、このままでは…。」
大魔法師の自分にあるまじき失態、完璧な用意をしてきたはずなのに、何故このような事態に陥ってしまったのか。悔やんでも仕方のない事なのだが、ため息ばかりが込み上げる。
「おはようございますっ!今日も早いですね店長。」
心地よいドアベルの音と共に、明るい声が飛び込んできた。相変らず彼女の出勤時間は早い。
「…いや、家に帰ってないだけだ。」
クロモドの言葉にルコは呆れ顔を浮かべてしまった。
「店長仕事が忙しいのは分かりますが、ちゃんと家には帰ってくださいっ!体壊したら何にもならない。」
「…そうだな。」
心配そうな彼女の顔に無意識にクロモドは顔を反らしてしまった。彼女に返す言葉が見つからない。
外から見える蕾のままの蔦薔薇を、クロモドは黙って見つめていた。
「今日の閉店時間は過ぎた。お前たちさっさと仕事をあがるがいい。」
3月に入ってから店長は職員たちに残業をさせない。無表情でこう言い放つと、無言の『さっさと帰宅しないかっ!』オーラを放つのだ。
「それにしても、店長は何でホワイトデーイベントがつつがなく終わったというのに、いつも徹夜なんだろうな。」
ロッカールームで着替えながら、シュバルマン副店長はポツリと呟いた。
「…鈍感なシュバルマンさんも気づかれましたか。私もずっとそれを不思議に思っていたのですよ。」
シュバルマンの疑問にアエルロトも同じことを考えていたようだった。
「…鈍感ってっ!まぁ、否定もできないけどなっ!それで、アエルロトは何か知っているのか?」
「そうですね、僕も不自然な店長の態度が気になります。」
いつの間にかソーマも会話に加わっていた。
男2人はアエルロトに詰め寄る。二人の真剣な眼差しにアエルロトはたじろいだ表情を浮かべた。
「私でも分からない事はあるんですよ…お二人とも顔が近すぎです。そして、服を着てくださいw」
にっこりと笑うアエルロト。彼の指摘にシャツが肌蹴たままだったシュバルマンとソーマが真っ赤になって慌てて服を探し始める。その姿を微笑ましく眺めるアエルロトは意味ありげに微笑していた。
帰り道のルコの足取りが重い。なんとなく、店長の様子がおかしいのも気になるのだが、きける雰囲気ではないし、心配しても「問題無い」の一点張りだ。
「ルコどうしたのっ!何か元気なくない?!」
急に呼び止められたルコは思わずミミステップで後ろに避ける。
「あぁ…ピンコかびっくりした。私は大丈夫だよ。」
そう言ったルコの顔をじっと見つめるピンコ。
「大丈夫じゃない気がするのは私だけかな?何か心配ごとがあったらいつでも言ってっ!」
ピンコの言葉にルコは少し考えてから小さくうなずいた。
「うん、ちょっと店長の様子がおかしい気がして心配なんだよね。」
ルコの言葉にピンコは少しご立腹の表情を浮かべる。
「まったく、大魔法師先生は女の子の気持ちが分からないんだからっ!まったくホワイトデーのお返しさえ忘れるなんて最悪だよっ!」
ピンコの言葉にルコは首を横に振る。
「それは違うよっ!私もバレンタインデーで肉まん渡したわけじゃなかったし、そう言う意味じゃないの。ただ、店長が心配で…っ!それに店長は仕事が忙しいし、忘れてても仕方ないと思うしっ!!」
ルコの一生懸命な表情に、ピンコは意地悪な笑顔を浮かべる。
「わかってるよ、私大人だもんっ!ルコが心配する事は全然ないと思う…だって、ねぇ?」
ロボに返答を求めるとロボも楽しそうに手を振り回す。ピンコは何か知っているようだがニヤニヤと楽しそうな笑顔を浮かべるだけで、ルコには教えてくれない。
「教えてよっ…意地悪だなぁ~っ」
彼女の顔に明るい笑顔が戻る。日の傾く小道を、ロボ&ピンコと追いかけっこで家路に向かうのだった。
ホワイトデーイベントも終わり、エルテイル喫茶のにぎわいも落ち着いている。ルコは外をボーと見ていたり、はたきで埃を落としながら小さくため息をついていたり、何となく仕事に身が入らないでいた。
「ルコ…ちょっといいだろうか?」
振り返ると無表情とも不機嫌ともとれる表情のクロモド店長が立っていた。
ルコの仕事に身が入っていない様子を見かねたのかもしれない。仕事には厳しい店長だ、怒られても仕方ないなと覚悟を決めた彼女は身を固めて向き合った。
「…はい。」
彼女の表情が緊張で固まる。
「私と一緒に来てくれないか?君に、見せたいものがある。」
クロモドはそのままルコの手を取る。ルコが何か言おうとする余裕さえ与えずに、ぐいぐいと彼女を引っ張ると店の外へと連れ出した。
店長は別に説教をしたい様子ではない。
一体、クロモド店長はルコに何を見せたいのだろう。
あまりにも必死に引っ張るので腕が痛いが、彼の必死さが伝わってくる。
手が熱くて…。
汗まみれになってないか心配だけど。
ただ、彼について行こうと思った。
いつもクロモド店長が手入れしている蔦薔薇のフェンス前で、二人は立ち止った。春の陽気で店内より外の方が暖かく感じられる。
「君に…似合うと思ったのだが丁度品切れで発注が遅れてしまった…ホワイトデーに間に合わなくてすまない。」
そう言ったクロモドの手には深紅のバラをモチーフにした髪飾りが光っていた。思いもよらないプレゼントに緊張の糸が途切れて、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫か?近頃ルコの様子が変だと、他の皆から聞かされていた…。早く出勤しすぎで、少し疲れているのではないか?君はアルバイト店員なのだから、仕事など副店長に押しつければいい。」
クロモドも彼なりに彼女を心配していたのだ。座り込んだルコの周りで右往左往する店長の様子が滑稽すぎて、ルコは思わずふきだしてしまう。
「…赤かぁ。私この色をつける事って無かったから似合うだなんて意外だなって。赤色って…なんとなくお姉ちゃんの色だったから。」
「そう、だったのか・・・。」
懐かしそうに笑う彼女に、クロモドは複雑な表情になる。
ルコの姉はいつもルコが赤色を着ない事を憂いていた。もう少し女の子らしい服装をして欲しいのにと困った表情を浮かべる姉の顔を忘れられない。
変な空気になってしまう前に、ルコはクロモドの手から髪飾りを奪い取ると、明るい笑顔で要求する。
「私も、赤色は大好きなんです。店長、お気づかい有難うございますっ!これ、髪に付けてくれませんか?」
クロモドは表情の変化に少し戸惑いながらも、髪飾りをつけて上げた。
「この蔦薔薇っていつ咲くんですか?私がこのお店で働き始めた時には、すでに花は終わっていたから…。」
「そうだな。この薔薇達は春と秋に咲くのだが…開花はもう少し先になる。」
クロモドはそう言うと、箒で魔法陣を描いた。その瞬間、一斉に蔦薔薇の蕾が開き始める。柔らかな薔薇の香りと真っ赤な花びらがルコの周りを包んだ。
「一足先に、この蔦薔薇が咲くエルテイル喫茶を君に見せたかった。実物には劣るが、どうしても君に観てもらいたかった…。」
「幻影魔法?!エルテイル喫茶の噂は聞いていたけれど…本当に綺麗。」
華吹雪の前に立ちつくすルコは、うっとりとその光景に魅入っていた。
ルコの髪色に深紅の髪飾りが良く映える。
君の方が綺麗だ、そうクロモドは口に出して言いたかったが言葉にする事が出来ない。
「いつも世話になっているのは私の方だ…礼を言う。できれば、本物の花が咲くまでここで働いていて欲しい。」
一言クロモドは言い残すと返事を待たずに、そのまま店の方へ足を向けた。
後ろ姿で言う事しか出来ない、そんな自分を許してほしい。
彼女も不器用だが、自分の方がさらに上だと自覚している。
今だけでもいい、少しでも長く君と一緒にいられるのなら。
それだけで、十分だ・・・。
「店長がそんなこと言わなくたって、私はずっとここで働くつもりだよ?辞めろって言ったって聞かないんだからねっ!」
背中の方からルコの一生懸命な声が聞こえる。足を止めたクロモド店長の顔に柔らかな微笑みが浮かんでいた。
短い時間の中で、凛と冷めるような青い疾風が柔らかな黄緑色に変化していく。
一日の変化は小さなものだけど。
ふと、足を止めると気づく春の訪れ。
長かった冬が終わり、優しいそよ風が確実に春を運んでくる…。
(おしまい)